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高継沖(こうけいちゅう)は十国・荊南の末代王。
北宋の建隆3年(962年)、高保勗が病没すると遺命によりその地位を継承した。後に宋朝より荊南節度使に任じられている。
同年、湖南省の武平節度使周行逢もまた死去し、僅か11歳の周保権が継承したが、その地域では大将張文表が反乱を起こす内紛が発生し、周保権は宋朝に求援を求めている。建隆4年(963年)、宋軍は張文表討伐のために荊南の地を通過したが、この機会に乗じ荊南の都城である江陵(現在の湖北省江陵)を影響下に置こうとし、高継沖は宋朝に帰順することにより荊南は滅亡した。
荊南滅亡後、宋朝は一度高継沖を荊南節度使に任命したことがあったが、やがて高継沖は一族を以って宋朝に帰順し、武寧節度使(現在の江蘇省、安徽省一帯)へ改称された。
開宝6年(973年)、武寧節度使のまま高継沖は死去した。